Чёрт с тобой!

ロシア帰り女子大生の他愛ない日常。

Скоро Июнь будет

六月が来る。

 

 

二年前の六月のことはよく覚えている。

朝起きて、学校へ行く準備をして、何もかもを終えて、家を出る時間になると、立てない程の腹痛や頭痛に突如として襲われ、

 

学校に行くことができなかった。

 

そのうち、朝起きる、ということができなくなった。

起きたら午後で、授業は既に始まっていた。

もう5限にも間に合わないような時間。

 

当時所属していたサークルで、私は会長職をやっていた。

隔日の定例会で、人前に立って連絡事項を伝え、発声練習などの指揮を取ったり、差し迫った他校生も来る発表会に向けて他の係りとの予定を摺り合わせたり、自分自身の個人・共同作品の準備を進めていた時期でもあった。

その重要な時期の定例会を、自己管理の甘さで、二回、無断で休んだ。

会長、という立場の人間であったにも関わらず。

 

そこからはまさに坂を転がり落ちていくようだった。

発表会の練習にも出れず、体調不良を理由に休んだ。

個人作品の作業はなんとか進めたが、共同作品の進捗は芳しくなかった。

私の所属していたサークルは特殊で、他大との交流も密接であり、またそれらを統括する会があり、その会合の主宰者にも手紙を差し上げねばならないにも関わらず、それもできていなかった。

 

ある日、発表会の練習を休んだ日、その練習が終わった午後。

共同作品のパートナーからメールで、

「貴女が担当しているこれらの仕事は、全てこの係りで分割します」

と、告げられた。

 

用済みだと、言われたような気がした。

責任感のない、仕事もこなせない、ろくでなしだと、そう言われた気が、した。

 

私はグループワークというのが苦手だ。

誰かに任せるということが上手くできない。

それは責任の所在を曖昧にさせる行為であると認識していて、だから可能な限りのことを自分一人でやってきた。

他者に頼むことができなかった。

端的に言えば、誰かを信用することが一切できていなかった。

 

友達ができた気がしていた。

サークルに入って、毎週末が埋まった。

たくさん遊んだ。

それまでの学生時代の憧れは全てやった。

放課後に食事をしたり、友達と一緒に映画を観たり、カラオケに行ったり、喫茶店でただひたすら雑談をしたり。

友達ができた気でいた。

けれど、違った。

結局のところ、私は誰も心から信頼をすることができていなかった。

 

あの仕事の分割だって、全て自分でやろうとするからこうなるのだ、という警告であり、彼女の優しさであったのだろう。

全てを抱え込まなくていいという、そういう想いもあったのだろう。

 

何もかもに目を瞑り、無視をして、自分は不必要なのだと宣告されたと自己解釈をして、そのまま実家に帰った。

大事な発表会まで、既に一週間を切った頃だった。

 

人として、やってはいけないことをした。

責任を放棄して、自分都合で逃げ出した。

はっきり言って最低な行為だ。

これ以上にない程に。

半期の休学に加えて、1年間の留学を挟み、計1年半、復学時期的に見てほぼ2年の休学の意味は、何よりも「卒業時期が彼女達と同じになりたくなかったから」だ。

私は逃げた、ひたすら逃げ続けた。

逃げて逃げて、壁に当たって、もう進めないところまで逃げて、それでも壁を壊して逃げた。

できるだけ遠いところへ、行けるところまで、落ちれる所まで。

 

そしてたどり着いた底で、マイナスからのやり直し。

それが今の復学だと認識している。

 

もうすぐ6月が来る。

休学をした時期が来る。

怖い、と思う。私の本音。

擁護の余地もないことをしたのに、それでもなお怖いと思う。

 

また学校に行けなくなるのではないか。

 

そう思ってしまう。

 

そうなったとして、まだ下はあるだろうか。

これ以上落ちる場所はあるだろうか。

 

Скоро Июнь будет.

ロシアで学校になかなか行くことができなくなったのも、そういえば6月だった。